デニー知事トークキャラバンに参加しました

 玉城デニー知事が全国を行脚し米軍基地問題への理解と議論を訴えるシンポジウム「トークキャラバン」が2年ぶりに再開され、1月27日に「in福岡」がオンラインで開催されました。

 玉城知事は基調講演で、「本土」復帰から半世紀経つ現在もなお在日米軍専用施設の約70%が沖縄に集中する現状と、1950年代に「本土」で高まった基地反対運動を背景に米軍が沖縄に移ってきた歴史的経緯を紹介しました。

 さらに、沖縄の米軍専用施設の面積は福岡市の約半分にあたること、現在の福岡空港は、72年に米軍板付基地が返還されたものであることにも触れ、安全保障問題について「他人ごとではなく自分ごとと考えるために肌感覚が大事」と訴えました。

 第二部のトークセッションでは、元防衛官僚で内閣官房副長官補を務めた柳澤協二氏がコーディネーターに、九州大学の南野森氏、西日本新聞の永田健氏、本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会の筆者・里村和歌子がパネリストとして参加しました。

 まず里村が市民の立場から、加害側にいながら関心を持てない構造から脱するためには、「本土」で基地を引き取るという前提が不可避であることを論じました。つづいて南野氏は、沖縄に一方的に負担を押し付ける現状では、堂々と日本人であると言えないこと、永田氏はマスメディアの立場から、2004年の沖縄国際大学ヘリ墜落事故についての「本土」メディアの関心の低さについて分析しました。コーディネーターの柳澤氏は「あまりにも理不尽。理不尽の極みのようなことが沖縄だけに降り掛かっている」と述べ、「本土」の私たちこそが解決のいとぐちを見出す必要があることを確認しました。

 次回の「トークキャラバン」は2月9日「in神戸」がオンラインで開催されます。全国から参加できます(要申込・無料)。お申し込みは沖縄県の辺野古新基地建設問題対策課のホームページ(https://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/henoko/)まで。 (里村和歌子・福岡)

■ニュースリンク

QAB

https://www.qab.co.jp/news/20220129147088.html

琉球新報

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1462464.html

朝日新聞

https://digital.asahi.com/articles/ASQ1W7T5YQ1WTPOB005.html


 以下、里村が当日お話したスピーチを掲載します。

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里村和歌子と申します。

名護市長選の結果を受け、「本土」に暮らす市民として、この状況をどう捉えたらいいのか迷っている方も多いと思います。今日はそんなみなさんと一緒に考えていけたら幸いです。

結論としては、沖縄の基地を「本土」に引き取る前提でしか、もはやいかなる話もすすめることはできないということをお話しします

ここにこんなアンケートがあります。

「国防上米軍基地が必要なら、本市だけがこれだけの被害を受ける理由がないとは思いませんか?」

という問いにYESと答えた人びとの割合が89%にのぼりました。じつはこれ、いまから60年前に板付空軍基地の被害にあえぐ福岡市が実施したアンケートです。

松本清張の小説で有名なキャンプジョウノの集団脱走事件、 68年の九州大学のファントム墜落事故など、当時福岡でも基地被害が多発していました。しかし、本⼟の反基地運動と呼応するように、主なものでも72年には板付空軍基地とキャンプハカタが返還され、私たちの目の前から消えていきます。

その際、米軍がどこにいったのか、思い至る人はいなかったと聞いています。

とはいえ現在、私の周囲のほとんどは、アメリカとケンカしたいひとはまずいないのも事実です。

私は、2008年から沖縄に1年間住んだことがあるのですが、そこで感じた違和感こそが、「本土」による歴史的・政治的な沖縄差別の表れであったことを、後に学び、知ることになりました。

そしていまから7年前、沖縄の足を踏んでいる自らの足をどかしたいと思い、基地を引き取るという社会運動を福岡ではじめることにしました。

基地引き取り運動は、2015年大阪で誕生し、福岡、新潟、東京など現在までに10都道府県に広がっています。福岡の会には、普通の会社員やリタイアした先輩方、沖縄に行ったことがない人もいます。政治的立場も保守からリベラルまでさまざまで、安保や憲法に対する考えも異なっています。そんなバラバラな人たちがなぜ集まっているのかというと、沖縄にこれ以上基地を押し付けるのは、同じ人間として我慢ならないという動機からです。コロナ前は、埋め立て反対やシール投票などの街頭行動や、市民による対話の会や講演会を開き、「本土」の市民に自分ごととして沖縄の問題について考える機会を提供してきました。現在は感染拡大によりなかなか思うように動けませんが、3か月に1回『ひきとり新聞』を発行し、福岡県下の議員などに送付したり小規模の読書会や勉強会を開催したりして、対話を重ねているところです。

もちろん、問題も山積みです。引き取るといったって、いったいどこに引き取るのか、どうやって、いつ引き取るのか、中国の脅威や台湾有事にどう備えるのだなどなどですね。

正直にいえば、これらの明確なひとつの答えは持ち合わせていないことはたしかです。

さらに福岡県でも、築城基地で拡張工事が始まっています。これも米軍再編の一環だそうですが、十分に話し合われたとは思えません。

とはいえ、今回のオミクロンの染み出しや事件事故、一地域に決断を迫る再三の選挙など、沖縄に一方的に基地を押し付けて成り立つこの国の戦後の安全保障体制が限界に来ているのは、もはや誰の目からも明らかではないでしょうか。

もちろん、引き取るなんて大多数の人がイヤと言うと思います。私はその感情を否定しません。誰だって、コントロールできない危険なものが隣にいるのはイヤなわけですから。

でも、ここでハタと気づくわけです。こんなイヤなものを半世紀の間、ずっと沖縄に押しつけてきたのだと。

実は今朝、このイベントを告知したある人からメッセージをもらいました。その人は、

「基地を引き取るなんていえば沖縄では歓迎されるだろう。しかし、自分たちは学生運動で福岡の米軍基地を追放した歴史があり、再びの誘致はありえない。他県に移しても基地被害が拡大するだけだ」

というように主張していました。

私たちが運動をやっているのは沖縄の人に気に入られるためでも、「誘致」をすすめるためでもありませんが、ここで問わなければならないのは、コンフリクトを避けるためにいくらでも改善のしようがあるのに、してこなかったのはなぜかということです。政府の責任であることは間違いないですが、米軍が目の前から消えたことで、私たち「本土」の人間は復帰後50年もの間、この国の安全保障に関する思考をフリーズさせてきてしまった。日米安保は大事だが基地は沖縄にありつづけてくれ、という世論調査の結果が、私たちが無策できてしまったことを明確に示しています。

では、そこから抜け出すにはどうするのかといえば、当事者としての自覚を持つしかありません。そのためには、反対、賛成問わず、いかなる可能性においても、私たちが沖縄に押しやった基地を引き取るという前提が必要なのです。

                                                             2022年1月27日

                                                            本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会(FIRBO)

                                                                            里村和歌子

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